「声で表現しようと思ったことは、体じゅうの出入り口すべてから発せられることになる。」なんだかスゴい表現ですが言い得て妙かもしれません。自分の意識が入っている体から外部につながっているところ……。口はもちろん、目、鼻、耳、さらに毛穴までのすべてが、外部とのコミュニケーションのために必要な“気”の出入り口だと、最近つくづく思っているからです。
人との会話やスピーチでしっかり意識すべきなのは“言動の不一致”がないかどうか。言語は口から、それ以外は体じゅうのすべてから発せられます。「またそんな~」という方もいらっしゃるかもしれませんが、これは間違いない事実です。視線の取り方や体の使い方はある程度のノウハウでごまかせても、不安や偽り、攻撃心などなどの雰囲気を体内に完全に閉じ込めることは、おそらく不可能だと感じています。これを冗談で“毛穴は閉じられない”と私は言っていますが、声として発している内容と考え方や意識の方向性がすべて一致しなければ、すべての感覚を使って全力であなたの話を聞いている人を納得させるものにはならないという意味と考えていただいてよいかと思います。
歌に関して考えてみると、思いつくのが目を閉じて歌う人。目を閉じる行為は表現を内側に押し込めてしまうことにつながります。表現が内向きの独り言になってしまうのです。もちろん独り言を表現したい場合はよいのですが、多くは自己満足の世界に陥ってしまいます。目を閉じて歌ったほうが声がよく出る、雰囲気が出るという方は、ぜひ一度、聞いている方たちから感想を集めてみることをお勧めします。
“口八丁手八丁”という言葉があります。口は上手いけれども、内容が伴わずに世間からは信用されない状態のこと。ノウハウだけを学ぶことが多いこの国では、そういう人が残念ながら増えている気がします。声での表現を追求するということが自分の中身の追求あることを、多くの皆さんとともに考えていきたいと強く思っている今日このごろです。